大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和24年(行)34号 判決

原告

石原德次郞

被告

盾津町警察長

主文

原告の請求は之を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

請求の趣旨

原告訴訟代理人は「被告が昭和二十三年十二月二十八日爲した原告に対する懲戒免職の処分は之を取消す。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求める。

事実

原告は大阪府中河内郡盾津町自治体警察の巡査として勤務していたところ、昭和二十三年十二月二十八日被告から原告が(一)昭和二十三年十月十七日右警察署に於て留置場看守の勤務に從事中留置場の監視を怠つた、(二)被告である署長の惡評を放つた、(三)他人名義を使用し盾津町公安委員長に対し署内のことを投書した、との理由を以て懲戒免職の処分を受けたので原告は昭和二十四年一月六日被告に対し右処分につき再審査の請求をしたが同月十七日之を却下せられ、原告は同日再審査請求却下の事実を知つた。しかしながら原告は右理由に揚げられたようなことを行つたことなく全く身に覚えのないことであつて、之は全部被告の誣罔に外ならないから右の処分は違法である。仮に違法でないとしても著しく不当であるから、これが取消を求めると述べ、被告が右の処分をするにつき再審査委員会の審議を経たことは之を認めるが懲戒委員会の審査を経たことは否認すると附陳し、

証拠とし甲第一乃至第四号証を提出し、証人川瀨登、殿尾幸助、三沢正夫の各証言、原告本人訊問及び鑑定人狩田義次の鑑定の一部第一鑑定の結果を援用し、乙第一、二号証、第三号証の一、二、三、第四、五号証、第八、九号証の成立は不知、爾余の乙号各証の成立を認めると述べ、

被告は主文記載と同旨の判決を求め、答弁として、原告主張の事実中、被告がその主張の日盾津町警察署巡査であつた原告を懲戒免職処分にしたこと並びに原告がその主張の日右処分に関し再審査の請求をしたが、これを却下したことは之を認めるが、原告にはその主張のような(一)乃至(三)の事実があつたから被告は該事実を理由として適法な手続を経て原告を懲戒免職処分に附したものであつて、右は誣罔ではない。即ち(一)原告は昭和二十三年十月七日盾津警察署に於て巡査三沢正夫と共に宿直勤務に就き且つ同署の留置場看守の勤務に服していたが、当日その留置場には強盜未遂脅迫等被疑事件の被疑者四名を收容していたので、予め宿直幹部の巡査部長惠敏雄から特に看視を嚴にするように再三注意を受けながら、原告が見張勤務を担当しなければならない同日午前三時から同六時迄の間故なく小使室に於て就寢し、これを知つた右惠巡査部長から勤務に就くように注意を受けたにもかかわらず遂に就勤せず、因つてその職務上の義務に違反し、(二)原告は同署の営業係として許可事務を取扱つていたのを奇貨とし、昭和二十三年十一月十三日管内盾津町鴻池、質商鳥井チク方に於てその家人鳥井正子(当二十一年)に対し同家の質営業の許可は調査不十分であつたにもかかわらず、被告署長が主任に無理に許可させたものであるから主任が氣を惡くしている。近く署長を首にして主任を署長にするよう運動しているが、そうなれば右営業の許可が取消になるかも知れない。その心配をなくするために自分と一緒に警察病院に入院中の主任を見舞に行くのがよい。自分の家は德庵のこうこうしたところだから訪ねて來るように等、恰も営業の許可が取消になるからそれがいやなら賄賂を持参せよと解せられるように申向け、よつて巡査としてあるまじきことを口外し、(三)原告は昭和二十三年十二月十二日頃盾津町公安委員長山中津一郞に到達の成田正夫名義を使用した郵便封書を以て同署署員を誣罔し、かかる職員を免職しなければ町民大会を聞く形勢にあるかのように申向け、以て警察職員として相應しくない行爲をしたものである。よつて被告は以上の事実により昭和二十三年六月一日盾津町條例第二十六号巡査懲戒令、同年十二月二十七日盾津町條例第三十六号に基いて適法な懲戒委員会及び再審査委員会の議を経て原告を懲戒免職処分にしたのであつて、その間該処分には何等違法又は不当がないから原告の本訴請求は理由がないと述べ、

証拠として第一、二号証、第三号証の一、二、三、四、五号証、第六、七号証の各一、二、第八、九、十号証を提出し、被告本人の訊問(第一回)鑑定人狩田義次の鑑定の一部第二鑑定の結果を援用し、甲号各証の成立を認め、

当裁判所は職権で被告本人の訊問(第二回)をした。

理由

大阪府中河内郡盾津町警察署巡査であつた原告がその主張の日、被告から懲戒免職に処せられたことは当事者間に爭がない。原告は右処分の理由とされている(一)乃至(三)の事実は身に覚えのないことであつて、これは被告の誣罔に因るものであるというので考えてみるのに、この点に関する原告本人訊問の結果は後記の証拠に照して容易に信用できないところであつて、却つて証人三沢正夫の証言により眞正に成立したものと認められる乙第五号証、被告本人訊問(第一回)の結果により眞正に成立したものと認められる乙第一、二号証、成立に爭ない乙第六号証の一、二、第七号証の一、二と証人三沢正夫の証言及び被告の本人訊問の結果(第一、二回)並びに鑑定人狩田義次の鑑定の結果(第二鑑定)と被告の手許に乙第三号証の一、二が存在することを綜合すると、(一)原告は昭和二十三年十月七日盾津警察署に於て巡査三沢正夫と共に宿直勤務に就いたが、同署に於ては宿直員は同時に留置場の看守勤務をも兼ねる定めとなつていた。そして同日同署の留置場には強盜、同未遂等の被疑事件で奥田某外三名の被疑者が收容されていたので巡査部長惠敏雄から在監者の動靜につき看視を特に嚴重に行うように注意を受けたにも拘らず、原告がその見張看守勤務に割当てられた翌八日午前三時から同六時までの間に、交代時限である午前三時に右三沢巡査及び右惠巡査部長から交代のため呼起され、同時刻から僅か十分間その勤務に服しただけで、その後同日午前六時迄の間小使室で就寢したまま故なく看守勤務に就かず、そのため三沢巡査に於て止むを得ず代つて服務しなければならぬ結果を招いたこと、当時盾津警察署に於ける留置場看守勤務については留置場取締規則の定めるところにより服務することになつてをり、右規則によると看守勤務者は、房内の査察警戒に細心の注意を拂い、自殺、逃亡、証拠湮滅、通謀、喧噪、暴行などのないように努めねばならず、休憩中であつても許可なくして留置場外に出ること、在監者とは勿論、同僚とも濫に談話すること、さえ禁ぜられてあるのであるから、右の事実は警察職員として著しい義務違反又は職務怠慢の所爲といわねばならないこと、(二)原告は昭和二十三年十一月十三日頃盾津町鴻池質商鳥井吉治方に於てその妻鳥井正子(当時二十一年)に対し「盾津警察署の内部は署長派は署長共に二名で自分及び其の他は全部反対の次席川瀨派に属し二派に分れている。鳥井家の質営業を許可する際、次席の川瀨がまだ調査不足のため直に許可できないと意見を述べたところ署長が直に許可せよと命じたので、次席は自分をないがしらにしたとて相当感情を害している。署長は目に余るような賄賂を貰つている。自分の考えとしては署長を首にして次席の川瀨が、その他適当な人物を後任するつもりで運動している。この運動が実現すると営業の許可が取消になるかも知れない。それが心配なら自分と一緒に警察病院に入院中の次席川瀨を見舞に行つたらどうか、見舞に行くなら打合のため夕方五時頃自分の家迄來てくれ」との趣旨を申向けたこと、又(三)原告は架空の人物成田正夫名義を使用して封書一通(乙第三号証の一、二)を作成し、これを郵便に附して昭和二十三年十二月十二日頃盾津町公安委員長山中津一郞に到達せしめたものであるが、右封書によると、「盾津町警察署勤務の惠刑事部長は闇取引の常習者である〓島某及び同じく吉田某と通謀し、同僚の石原を苦しめている。又同署長は毎日飮食遊興に署の自動車を使用し且つ町内のボスの家に出入りする。同署長は勝手な人事を行い、そのため退職させられた者が二人ある。公安委員長として右惠刑事部長の如きは辞めさしたらどうか、又署長には反省を促して貰いたい。若しこのまま放置して置くようなことがあれば町内の有力者数名が町民大会を開く形勢にある」旨を記載してあることが認められ、原告の右(二)及び(三)の所爲は警察職員として甚だしくその信用を害すると共に、その職員全体の不名誉を招いたものということができる。

原告提出援用の証拠によつても右認定を覆すに足らない。右(一)の所爲は昭和二十三年六月一日盾津町條例第二六号盾津町警察職員懲戒委員会條例を以て準用する官吏懲戒令(明治三十二年三月勅令第六三号)第二條第一号に、又右(二)(三)の所爲は同條第二号に該当し、被告は前記処分をするに付昭和二十三年六月一日盾津町條例第二六号盾津町警察職員懲戒委員会條例、同年十二月二十七日同條例三六号警察職員の任免に関する條例及び同日公安委員会規定第四号警察職員の任用分限及び懲戒規程に基いて適法な手続を経たことが認められるから右処分は適法であると謂わねばならぬと共に右処分が著しく不当であるものと認められない。そうすると右処分の取消を求める原告の本訴請求はその理由がないから之を棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟特例法第一條、民事訴訟法第八十九條を適用して主文の通り判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例